他者の専門性と向き合うこと

2021年8月28日

最近こんな本を読んだ。
「役に立たない」研究の未来 
初田哲男, 大隅良典, 隠岐さや香, 柴藤亮介

外からは一見役に立たないように見える基礎研究がいかに大切で、しかし現代(特に日本)ではそれが軽視されてしまう実情に対し、どのようにして基礎研究を守っていったら良いか、ということを論じた本である。この本自体はオンラインで開催されたイベントの内容をまとめたものであるため、そこまで深く入り込んだ議論はなかったのだけれど、個人的には以下のようなことを考えながら興味深く読むことができた。

「自分には理解できない専門性を持つ他者に、役に立たないなんて言うことはあり得ないことで、むしろ他所の専門性を少しでも理解する努力をすることこそ、デザイナーに必要なことではないか?」

僕はデザイナーを翻訳家に例えることがある。何か伝えたいことがあるクライアントがいて、それを多くの人に伝わりやすいデザインにして広げることを翻訳に例えるのだ。そのメタファー自体はある面では正しいと思うのだけど、片方の言語をもう一方の言語へ訳す翻訳家が、双方の言語に精通している必要があるのに対し、デザインはクライアントの伝えたい内容に精通していないことがしばしばある。そういった面で、デザイナーには翻訳家とは違ったスキルが求められる。

デザイナーがデザインという専門性を持つように、デザインを依頼するクライアントも多くの場合それぞれの専門性を持っている。それは例えばアートのようなデザインと隣接するものもあるが、大抵は全く関係のない分野の相談がやってくる。そんな時、若い頃は門外漢である内容を、図像化したり単純化したりといった「デザインの専門的スキル」に当てはめて翻訳していたように思う。クライアントの専門性を理解するより前に、デザインの専門性を用いて単純化することで、人々に伝わりやすくしていたのである。それはそれでデザインのひとつの力で、デザインというフィルターを通すことで一定程度理解されやすい形にはなる。しかし、経験を積む中でそのフィルターを通す前に自分自身がクライアントの専門性を少しでも理解することで、フィルターを通す前の下ごしらえができるようになったように思う。下ごしらえをすることでフィルターを通す内容を変えたり、フィルターを通過させる角度を変えて、より精度の高いデザインが可能になる。

上記のように抽象的に言えば簡単に見えるが、それを多少なりとも実現できるようになるまでに、自分はとてもとても長い時間をかけてきた。それどころか今だってうまくいかないことがしょっちゅうである。

まず最初の段階では、様々な情報をその時々の条件の中でひとつの形にまとめる力をつける必要がある。一言で言えば造形力。与えられたものを形にする力である。これができなければデザイナーを名乗れないとも言える基礎中の基礎の能力だ。

そして造形力と並行して、情報を整理する力も重要だ。目の前にある情報から不要な部分をそぎ落とし、目立たせる部分を広げ、適度な補足をする。この情報整理力と、造形力とがあれば、パッと見ではわかりやすく“見える”デザインができるようになる。

しかし、ここから本当の意味で良いデザイナーになるために、他者に寄り添う力と、それを広げる知識が必要になる。この辺りから冒頭に紹介した本に関連して、理解困難な他分野の専門性を役に立たないなどと一蹴せず、「完全に理解はできない」という謙虚さを持って、それでも部分的にでも理解しようとすることが大事になってくる。

自分と関係がない専門性を役に立たないと言えるのは、そもそもその分野を「理解できる」という驕りがあるから言えるのである。そもそも「完全に理解はできない」と思っていれば役に立つか立たないかなんて恐れ多くて判断できないはずである。デザイナーは「完全には理解できない」けれども「少しでも分かろうとする」その隘路で逡巡する職業なのではないか。

前者の「完全に理解はできない」ことは、デザイナーなら実は簡単に実感できる。それはデザイナーにも専門性があるからだ。専門性とはそもそもその分野に深く身を沈めることで身につく能力である。デザイナーであればデザインという分野に長い時間触れる中で身につけた専門性を持っていて、それが他者から理解されないという経験もまた持っているはずだ。その経験があれば、反対に他者の専門性に対して「完全に理解はできない」ということは身にしみてわかるのではないか。専門性を持つ人は、他の専門性にも謙虚になれる。

それに対して、後者の「少しでも分かろうとする」は努力が必要だ。

そもそも理解しようとするためには好奇心が必要である。しかし、人間誰しも全てのことに対して好奇心を持つことは困難である。人それぞれに興味を持てることと持てないことがあるだろう。そのためデザイナーとして良い仕事をしようと思ったら、好奇心を持てる分野の仕事をすることが実は重要なのだ。これはなかなかの難題かもしれない。自分の興味あることだけでデザイン業を成り立たせることは非常に困難である。特に若い頃はどうしたって来た仕事をいかに打ち返すかという状況がほとんどだった。しかし、時間をかけて、自分の興味を持てる仕事で結果を残し、またそれを公言することによって、少しずつでも仕事の内容を絞り込んでいくことは可能である。そうすることで好奇心を持てる仕事と繋がる機会が増えてくる。

そして好奇心を持つだけではなく、積極的にその分野について勉強することも必要になってくる。関連する本を読み、現場に赴き、関係者と会話する。そうして初めて一言二言、その分野について言葉を継げるようになり、それをデザインするための勘がほんの少しずつ働くようになる。

他者に寄り添う力が、他者の専門性を尊重する力であり、それを広げる知識はそのまま、他分野に好奇心を持ち知識を身につける力なのだ。

整理をしてみよう。


デザイナーとしてまず最初に必要とされるのは造形力である。これがなければ始まらない基礎的な力だ。
次に、同様に基礎的な力として情報を整理する力が求められる。造形力と情報整理力、この二つがデザイナの基本的なスキルになる。
その次の段階で他者に寄り添う力 = 他者の専門性を尊重するための経験が大切になる。これはデザイナーとして経験を積めば自然と理解できるものである。
そして寄り添う力を生かし広げていく力 = 好奇心と知識を広げ深めること。
また並行して、自分の興味と取り組む仕事を一致させていくための振る舞いや実績を作ること。

これらの能力や経験を積むことでようやく、多少なりとも精度の高いデザインができるようになるのではないかと、最近は思っているのだ。まだまだ実現はできていないまでも、それが重要なのではないかと感じるようになってきてる。

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