デザインは「美しい」だけでも「機能的」なだけでもいけない

2020年8月1日

先日以下のような趣旨のブログを読みました。とある広告について。赤や黄色で派手につくられたその広告は、ネット上では「汚い・安っぽい」と批判されているけど、ブログでは「実際にはその広告も色々考えられたうえで、この広告で結果が出る = 売れるよう計算されて作られているんじゃないか?」というようなことが書かれていました。もちろんそれはそうだと思うし、きちんと売り上げにつながるというのは広告の機能だから、派手すぎて決してきれいではない広告も、その機能が果たされているならば間違いではないのだと思います。ただ、デザイナーとして本当にそれを正解と言ってしまってよいのか?というのが個人的にもやもやした点です。仕事としては結果が出ればそれで良い部分もありますが、デザイナーの役割はそれだけではないと思うのです。広告を作るということは街の景色(の一部)をつくるということです。街で生活する人が気持ちよくすごせるよう、その景色の一部である広告を美しくつくることもデザイナーとして目指すべきことのひとつなのではないでしょうか。広告のデザインを発注する企業側は結果につながればよいのかもしれませんがデザイナーはそれに応えたうえで、さらにそれを美しくする努力をするべきだと思うのです。

確かに「美しい」という言葉は主観的な意味を多分に含みます。だからと言ってその部分を切り捨ててしまうことは、デザイナーとしてのある種の責任を放棄してしまうことになると思います。仮に主観的だとしてもデザイナーはその主観的に(もちろん客観的な視点も持ちながら)考え抜いた「美しさ」を成果物によって提示するべきです。目指すべきは「機能」と「美しさ」を両立できる成果物であり、そのどちらかのみを達成できたとしても満足してはいけないのです。

 

HELLO-WORLD-「デザイン」が私たちに必要な理由 アリス・ローソーン著

会社をやめて独立し、しなやかデザインとしての活動を始めたころ
ひとつの指針として以下のようなことをぼんやりと考えていました。
「ウェブの世界を美しくすることに寄与するような仕事をする」
ウェブの世界、特に日本のウェブは、書籍の世界と比べても、まだまだ醜いデザインが多くある世界です。
そのウェブの環境を少しでも美しくしていけたらいいな、と、独立したときに思っていたことを思い出しました。

 

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