私たちのこと
しなやかデザインについて
はじめまして。しなやかデザインです。私たちはウェブ、VI/ロゴ、グラフィックを制作するデザイン事務所です。また、それらのデザインに加え、企業やプロジェクトに長期的に関わり、そのブランド価値や魅力をともに考えるような仕事もしています。
東京・清澄白河のデザイン事務所
TBSラジオで荻上チキ氏がパーソナリティをつとめるニュース番組「セッション」。面白い特集も多く勉強になるなあと、以前からよく聞いている。リベラルな方向性にも共感できるし、応援してはいるのだけれど……。先日、番組での荻上氏発言に強い違和感を感じることがあった。その発言の要旨は以下のようなものである。
「『セッション』のTwitterアカウントが番組の感想ツイートをRTしたところ、そのツイートのアカウントが過去に差別的な発言をしていたことに事後気づいたので、RTを取り消して、今後同じようなことをしないように番組Twitterの運用方法を検討し直す」
ざっくりと要約するとそんなことを話していた。番組の感想ツイートも差別発言も、どのようなものだったのかはわからないのだけど、これを聞いて僕は強い違和感を感じてしまった。仮に過去に差別的な発言をしていた相手だとしても、それ以外の部分で共感できたのなら、その点については取り消す必要はないのではないか?
RTしたくらいなのだから、番組の感想ツイートはある程度好意的なものだったのだろう。つまりある話題については握手できる相手だっということなのだと思う。それを過去の発言を理由に手を離してしまうのは間違っていると僕は感じたのだ。そもそも友達なんてある部分では共感できるけど別のところでは理解できない、そんなものだろう。片方の手を握りながらも反対の手で喧嘩をするくらいでもいいと思う。それでも共感する部分があるから一緒にいて、意見が交換できるのだ。
例えば、小中学校の同級生なんて、大人になってみれば99%意見は合わないやつだったと思う。それでもなんかひとつくらい理解できる点があったり、それさえなくても共通の思い出で馬鹿話出来るだけで、飲みに行ける。そういう関係を複数持つ中で初めて「多様性」を理解できるんじゃないか。そんなランダムな「多様性」を受け入れないで、形式化された「多様性」だけを擁護するような話にはのれないな、と。
僕自身も、とあるミュージシャンの過去を知ってその曲を聴けなくなったような経験はある。でもそれは個別のケースバイケースで、度合いや種類の問題だ。個人的にどうしても許せないこともあれば、許容できることもある。
「セッション」の話に戻せば、件の「差別的な発言」の具体を伝えないままRTを取り消し再発防止をと言ってしまったら、せっかく握った片手を離して両手で喧嘩を初めてしまうことを推奨しているかのようだ。そうではなく、片手で握手ができたのならそれをきっかけに、意見をすり合わせる方が僕は好きだなと思ったのでした。
人間と人間は偶然出会うわけで、偶然出会った相手と意見が合うわけなんてない。でもその偶然の中で一緒に何かをする中でしか、多様性なんて生まれないんだと思う。