ドアに社名

2023年9月1日

事務所のガラスドアにカッティングシートで社名と業務内容を貼りました。

本当はちゃんとした看板(大きいのじゃなくてさりげないやつ)をつけるつもりだったけど、とりあえずはこれでお客さんも迷わなくなるし、宅急便が間違えて上の階に届けられることも減るだろうし、良かったです……、と言うより、今の事務所を借りた当初の動機を考えると、そもそも今まで何もつけてなかったことが間違ってたのですが。それがどういうことか、について以下に書いていきたいと思います。

しなやかデザインの事務所は、大通りではないけれど多少は人通りのある道沿いの1階にあります。いわゆる路面の物件です。家賃のことを考えれば2階以上の方が安くなる(事業用の物件は住宅と違って1Fが賃料高いことが多い)のですが、あえて1階の物件を借りることにしました。理由は大きく分けて2つあります。1つは昨年『紙のミルフィーユ』のポップアップストアを開催したようにちょっとした展示会などを開けるように、その時に集客しやすいよう路面の物件を選びました。そして、もう1つの理由が今回ガラスドアに社名を貼ったことと関係します。それはデザイン事務所があることを近隣の人に伝え「デザインが日常の生活圏の延長にあるものと知ってもらいたい」ということです。

デザイン会社と言えばビルの2階以上や上層階にあり、無関係な人は気づきもせず、仕事で関係する人や業界の人だけしかアクセスできないことが多いです。

また多くのデザイン会社はSEOやSNSマーケティングなど、ネットを使い自社の存在をアピールしていますが、ネット上ではどうしてもエコーチェンバーに陥ってしまい、やはりデザインに関心の高い人たちにしか届かなくなりがちです。

デザイン会社の運営としてはそれで問題ないことも事実です。しっかりとした仕事をしていれば、人づてに仕事はやってきますし、ネットを使えばデザインを必要とするクライアントに知ってもらうこともできます。経営としてはそれでうまくやっていくことができるでしょう。事実、弊社も人づての紹介とネットからの集客でずっとやってきています。

けれどもふと思うのです。デザイン事務所はそんな一部の人たちだけのためにあれば良いのでしょうか?もっと普通に、町の中にあるデザイン事務所があっても良いではないでしょうか?

毎日事務所までの道を自転車で走っていると、介護施設や整体や不動産屋など様々な会社やお店が目に入ります。今すぐに用事はないけれど、身近で介護が必要になったり、腰が悪くなったりしたらお世話になるかもしれません。そんな風に景色の中で馴染んでいるデザイン事務所があっても良いのではないかと昔から思っていたのです。

検索エンジンで上位に表示されるような施策をSEO(サーチエンジン最適化)と言いますが、ネット上ではなくて地域の中で見つけてもらうようなことを考えるSLO(サーチ・ローカル最適化)があっても良いのかもしれません。

そんなことを考えてしなやかデザインの事務所は人目に触れる1階に構えました。もちろんそれだけでデザインに対する印象が変わるとは思っていませんが、その第一歩として。なので、この1年間、何も看板を出していなかったのは日々の忙しさに負けて完全に初心忘れていました。反省です。(まあ、僕は何をするにつけても動きが遅い人間なので……)

事務所のガラスドアに名前をつけた話は以上なのですが、そもそもなぜ僕が「デザインが日常の生活圏の延長にあるものと知ってもらう」必要があると感じたか、それについてもう少し話を続けます。

デザイナーがインタビューやSNSで「デザインの価値をもっと上げていきたい」と話している場面をたまに見かけます。そのこと自体にそこまで異論はないのですが、よくよく発言を読んでみると、つまりは「偉い人にデザインの有用性を伝え“デザイン料をもっと高くしてもらいたい”」と言っているに過ぎない場合も多々あります。デザインをして正当な報酬をもらうことはもちろん大切です。けれどもそれが本当にデザインの価値を上げることなのかと言えば、正直「?」となります。

日本において「多くの人たちにはデザインの価値が受け入れられていないのだなあ」と感じた事件があります。いわゆる「東京オリンピック・エンブレム問題」です。2015年に起こったこの騒動は当時、連日報道され、盗作か否か、佐野研二郎氏の他の仕事への疑い、デザイン業界の閉鎖性、そもそもオリンピックロゴのコンペそのものの正当性への疑義など、様々な問題が議論され、そして糾弾されました。そんな状況の中僕自身は「ああ、デザインと関わることのない人たちから、デザインやデザイナーってこんなに嫌われているんだなあ」と強く感じていました。オリンピックのエンブレムに似たロゴがベルギーにあると報道されるやいなや、みんなが一斉に佐野氏への激烈なバッシングを始めたことが僕には、人々が無意識に持っていたデザインやデザイナーへの嫌悪感が表出しているように見えたのです。その嫌悪感の片鱗は同じオリンピックに関係するザハ・ハディド氏の新国立競技場のデザイン案が撤回に追い込まれた事件からも見えていたように思います。新国立競技場の案は非常にデザイン性が高いもので外苑の街に建てられていたら、良くも悪くも違和感のある建築になっていたでしょう。その案に対して建築業界の中から異を唱える声が上がり、建築費用の問題などが取り沙汰される中で世論が形成され、最終的には当時の安倍首相がデザイン案の白紙化を発表することになります。

エンブレムも新国立競技場も、誰かが問題を指摘した後に世論が大きく“否定”の方向にに傾いたというところに共通点があります。佐野氏のエンブレムのデザインは盗作か否かは別にしてオリンピックという祭典の華やかなイメージをあえて落ち着いたデザインで表現したある意味では「格好つけた」案でした。また、新国立競技場の案もザハ氏らしい曲線を多用した「デザイン性の高い」ものでした。これらが立て続けに世論によって否定されたことは、多くの人にとって「デザイン性や格好よさに対して否が突きつけられた」ように僕には見えたのです。平たく言ってしまえば「格好つけなんてどうでもいいから、そんなことに税金使ってくれるな」と。

佐野氏は当時大変に勢いがあり広告業界で確固たる地位を築いているデザイナーで、そんな人をコンペで選んだ人たちもまた、広告業界で力を持つ人たちでした。ある面から見れば、これまで狭い業界内の論理で動いてきたデザインに対して噴出した嫌悪感だったのかもしれません。

(オリンピックののゴタゴタからデザインフォビア的な世論の空気を僕が感じた理由がうまく説明できてないのですが、とにかく当時僕はそう感じていました。)

話を少し戻します。前述の「デザインの価値を上げるために」「業界の人や偉い人に訴えかける」ことは、オリンピックのゴタゴタで表出した「業界外の人たちが持つデザインフォビア」とも言える感情が溢れる世の中で本当にその価値を上げることに繋がるのでしょうか?

僕には全くそう思えません。むしろデザインの価値を上げるために、デザインの地位や、ふわふわとお高く見えるイメージは一度引きずり下ろすべきと考えています。そのためにもビルの上の階からデザイン事務所を文字通り地上階に下ろして、人々の生活圏で目に見える場所に事務所を作りたいと思いました。その先に、デザインで普段の生活が少し良くなったり、身の回りが美しくなることを心地よいと感じたりと、ポジティブな体験を広めていくことこそが「デザインの価値」につながっていくのではないでしょうか?

そんなことを考えて深川の町の路面で事務所を借りて仕事をしています。本屋と間違えて入って来る方はいますが、まだ、近所の人がふらっとデザインの相談を持ってくることはありません。けれど少なくともここにデザイン事務所があって、グラフィックデザインやウェブデザインができることは外から見てもわかるようにしました。本当の意味でデザインの価値を上げていけるように、この事務所でしばらく頑張っていこうと思います。

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