デザインを仕事にした原点/人のためにものをつくること

2021年5月9日

2020年は、12月頃は仕事が少なくヒマになり「ああ、うちももうダメなのかなあ」などと思っていたのだが、その時期に自社のウェブサイトを改修した効果もあり後半はかなり忙しく過ごさせてもらった。ウェブサイトからの問い合わせが増えたおかげで大変助かった。サイトに掲載したこれまでのデザイン事例を見て、問い合わせをもらうことはデザイナーとしてとても嬉しいものである。過去に制作したものを良いと思ってもらえることも嬉しいし、またそれを見た人から必要としてもらえることもとても嬉しい。

そんなことを考えながら忙しくしていた中で、ふと子どもの頃のことを思い出した。

僕は小学生の頃、運動も勉強もごく普通の成績で、面白いことを言って人気者になれるわけでもない平凡な子どもだった。ただ、小学校に上がる前から近所のお兄さんの影響で漫画を真似た絵を描いていて、それは小学校に上がっても中学校に上がっても飽きず続けていた。エレクトーンやプールなど習い事はすぐやめてしまった自分だけれど、放課後、家に帰って机に向かい絵を描くことだけはずっとずっと続けていたのだ。左手に置いた漫画をお手本に、飽きずに色々なキャラクターをノートに模写していた。小学校入学前から続いていたその習慣で、4年生くらいの頃にはすでに漫画模写歴5年ほどになっていて、ジャンプに載っているような漫画であれば手本を見ながらなんでも描けるようになっていた。そのおかげでクラスメイトからも絵の上手な子として一応は認知されていて「今度は〇〇のキャラクターを描いてきて」などと言われ、面倒そうなフリをしながらも内心は嬉々として注文に応えていた。前述の通り他にこれと言った特技もなかった僕は、その漫画模写を友達に見せ、認められるることで、どうにか孤立しないでいられたように思う。

余談だけど、美大受験のデッサンを勉強し始めた頃、対象をよく見てそれを絵にするという意味で、わりとすんなりとデッサンに馴染めたのは、小学校の6年間漫画模写をし続けた経験がそれなりに活きていたのだろう。(ただ、その反面、立体感を表現することは苦労したけれど……。)

「手本を見ながら」の模写は小学校とともに卒業し、だんだんとオリジナルの絵を描くようになっていったのだが、いずれにせよ、中学校に入っても夜は家で絵を描いていたし、それが自分のアイデンティティだった。当時のカルチャー的な価値観からすると、中学生にもなって漫画っぽい絵を描いているとオタクとして冷たい視線にさらされててもおかしくはなかったのだけれど、そんな記憶があまりないのはラッキーだったなと思う。ともあれ中学時代、毎夜絵を描いて、それをファイルに入れて学校に持って行き、すると、またなんか描いてきてと言ってくれる友人や、その絵を気に入って欲しがってくれる友人もいた。そうなってくると最初は自分が好きで描いていた絵も「〇〇くんが喜ぶから描こう」「××さんはこんな絵が好きそうだ」などと人から認められるために描くことも増えてきた。もちろんそこには自分の描きたい絵もあるけれど、ただそれだけではなく、人が喜ぶものと自分の描きたいものとのバランスを自然ととっていたのではないかと今になって思うのである。絵を描く原初的な喜びは変化していても、自分の作ったものを人が喜んでくれて、それが自分も嬉しいという状況。はて、それは何かに似ている……。そう、大人になった自分がお客さんのためにデザインを作る状況に似た形がそこにはあった。もちろんデザインには自分と相手とは別にそれをとりまく社会があるので同じではないが、他者のことを考えてものを作る、僕がやっているデザイン事務所業の原点はそこにあったのかもしれない。自分がデザイナーになった原点がそのころの経験にあるとはもともと思っていたのだけど、それはどちらかと言えば「絵を描くという行為 =/物を作ることが好き」という気持ちが原点だと感じていた。けれども実は「絵を描くこと」よりも「誰かのために」という意味での原点だったのではないかと、2020年後半の忙しさの中でふと思ったのだ。子どもの頃から「絵を描くこと自体の喜び」よりも「絵を描くことで人に喜ばれる、という喜び」が勝っていたのだとすれば、デザイン事務所という仕事は天職とまでは言えるかはわからないが、とてもとても向いていたのかもしれないと、この歳になって少しだけ合点した。

そのことに思いあたった僕は「人に頼まれてデザインする」ということについて、改めて考えてみたいと思った。しかしそのためにはまず、ある面から見て、人のために物を作るというデザイン事務所の弱点「人の仕事に乗っかって仕事をしている」という点に向き合う必要があり、なかなか気が重い……

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